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上村裏日誌

2021/01/11 Mon

命日

1月11日は上村一夫の命日です。

今年で35回目を迎えました。

自らの体調不良とコロナ禍ということで、今年もお墓参りは断念。

だいぶご無沙汰が続いています。

 

昨年は生誕80年ということもあり、いろいろな方にご協力いただきながら展示やコラボレーション商品を作ることができました。

また、海外ではイタリアを中心に本を復刻していただきました。

残念ながら国内での出版は叶いませんでしたが、今年はなんとか頑張りたいと思っています。

 

あらためまして、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

ところで、昨年の10月からBS12チャンネルで『寺内貫太郎一家2』が毎週木曜日に放送されているのですが、放送の度にTwitterのタイムラインで上村一夫のことを呟いてくださる方がいらっしゃいます。

 

この人が上村一夫!?、とか、

台詞あったよ上村一夫、とか、

坊屋三郎さんにドヤされる上村一夫さん、とか

上村一夫の慣れてきた感、とか

上村一夫先生たまらず吹き出すw、とか

すっかり馴染んでる上村一夫、とか。

 

面白すぎて毎週チェックしてしまいます。

 

お芝居(呑んでいるだけですが)をしている父を観るとこちらが恥ずかしくなってしまうので私は余程のことがない限りドラマを観ることはありませんが、放送を観て下さった方がTwitterにあげてくださる感想や画像はとても楽しく見ることができます。

この場を借りて、御礼申し上げます。

 

漫画を描くだけでなく、実はドラマに出たり歌を歌ったりしていた上村一夫。

シャイでお人好し。頼まれたら断ることができない人でした。

 

以下、演出家の久世光彦さんが書いて下さった文章です。

 

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「寺内貫太郎一家」というドラマに上村が毎週出て来る単なる酔客で出演したとき、向田邦子がつけた役名は<品川巻次郎>であった。

口に入れて噛むか噛まぬうちにポロッといかにも脆く崩れ去るというのである。「だけど巻いてある海苔がちょっと粋なのよね」と向田邦子は笑って言っていた。

 

1996年「螢子」(中央公論社)「原作者のことば」久世光彦 あとがきより

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ドラマに出ないかと誘うと、かならず軽率にのこのこと出て来た。酔客でも痴漢でも、やくざの親分でも、彼は軽はずみに何でもやった。

まじめに顔をつくり、まじめに台詞を覚え、まじめにどうでもいい役を演じ、まじめに挨拶して帰って行った。

 

1996年「螢子」(中央公論社)「原作者のことば」久世光彦 あとがきより

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最後に、上村一夫が連載していたスポーツニッポンの『浮世絵シリーズ』より、ドラマについて書いたエッセイをご紹介して今年の命日を締めたいと思います。

 

 

 

女房にみっともないから、やめてください」といわれつつ私はTV番組の寺内貫太郎一家に飲み屋の常連のひとりとして出演している。劇中、私の出入りするその飲み屋は親子で経営しており、父はクイントリックスの坊屋三郎さんで、娘は今陽子さんである。

私の楽しみはセットで本物の酒を飲めるのもさることながら、坊屋さんに会えることである。子供のころに田舎の映画館で坊屋さんの演技に腹をかかえて笑った歴史の懐かしさもあるけれど、何よりも、坊屋さんとか益田キートンさんの素顔にみられる「粋(いき)さ」が好きなのである。

浅草という街が坊屋さんや益田さんに「粋さ」をしみ込ませたのだろうか、それとも芸人であるという自負がそうさせるのだろうか。

とにかくたかだか本番三十分間の酒席ではあるけれど「タレント」よりも「俳優」であることよりも「芸人」であることのさわやかに酔う。

 

1975年5月11日 スポーツニッポン「浮世絵シリーズ」より

 

 

テレビ番組「寺内貫太郎一家2」の打上げ式に出席した。好奇心からチョイ役で出演していた私も駈けつけた。二次会、三次会と酒席を移して酔いしれたが、さすがに芸の玄人の会だけに、出席者のアトラクションにはこと欠かず、スナックの酒場のマイクを借りて得意気に歌い、酒場のママやホステスさんのアンコールを正直に受けとめて歌っていた自分が恥ずかしくなった。

夜も明けようとする時刻には同番組に出ていた由利徹さんと私だけが残り、酒を飲んでいた。名脇役はチョイ脇役の私の肩を抱いて、お富さんと切られ与三郎の再会のシーンと、その与三郎の手ぬぐいをとる所作を教えてくれていた。たかが手ぬぐい一本の動きなのだろうけど、その芸の歴史ととり方の正当性を主張する名脇役にチョイ脇役は、ただ首をたてに振るだけであった。

やっぱり人間は本業を忘れちゃいかん。二度と私はテレビに顔を出しちゃあいかんなア。

 

1975年10月26日 スポーツニッポン「浮世絵シリーズ」より

 

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