赤江瀑の「鬼恋童」という小説の解説を上村一夫が書いていたと知った。
いくつかそういった書き物はしていたが、「鬼恋童」は読んだことがなかったのでさっそく購入。
ところが届いたものは初版の1976年版。
上村一夫が解説を書いたのは1985年の文庫版だった。
間違いにがっかりしてしまったことと、ちょうどその頃、『BSフジサンデースペシャル 人間発掘スペシャル 阿久悠 その創作の原点〜ある劇画家との運命の物語〜』の収録が始まって落ち着かなかったこともあり、とりあえず届いた本を本棚にしまいこんだ。
その後、番組は無事放送されたが、個人的にいろいろ思うところもあり鬱々としていたところ、ふと「鬼恋童」のことを思い出し、最近になってようやく読み始めた。
「鬼恋童」には、他に「阿修羅花伝」「闇絵黒髪」「炎帝よ叫べ」「寝室のアダム」の4作が収録されている。
まったく予備知識もなく読み始めた「鬼恋童」、どうやら萩焼の話らしい。
そういえば萩焼は高校の修学旅行で初めて自分のために買った器だなあ、などと呑気に思いながら読み進めるうち、物語は古萩「白虎」にまつわる怪しいミステリーとなり、ぐんぐんその世界に引き込まれた。
読後、なぜ上村一夫がこの本の解説を書いたのか分かった気がした。
「鬼恋童」だけでなく、他の4作どれにも上村一夫の作画が目に浮かんだ。
まさに上村一夫の劇画世界だった。
これはすぐに上村一夫の書いた解説を読みたい、と1985年の文庫版を購入。
文庫版の表紙は辻村ジュサブローだ。
早速巻末の解説を読む。
こんな風に父の仕事を紐解くのは新鮮だ。
果たして何が書いてあるのか。
それは意外なエピソードから始まり、次に福井での取材旅行のことに触れている。
福井の取材旅行は小学生の頃、母と共に何故か同行したのだ。父としては家族サービスを兼ねての旅行のつもりだったのかもしれないが、私は何故かあまり楽しかった記憶がない。たぶん一家団らんに慣れていなかったことや、接待で高級な食事を用意してもらったにもかかわらず子供だったからかあまり口に合わなかったこと、空はどんよりと曇り、母も私も乗り物酔いをして、父が困り顔だったことなどが原因だったと思われる。
その取材旅行の目的が何だったのか、今まで知らずにいたが、父は地元の窯元へ取材に行っていたと解説に書いてある。
父は当然ながらちゃんと仕事をしていたのだ!
解説には「福井へは今から10年前に」と書いてあるので1975年頃に行ったことになる。当時描こうとしていた陶工の話のためだったそうだ。
その頃に描いた陶工の話といったら、「青春横丁」だろうか。
無性に「青春横丁」が読みたくなった。
解説の後半に、「鬼恋童」を劇画化してみようとしたと書いてあった。
やっぱり!と思った。
しかし、コマの一つもかけなかったとある。
描いてはいけないのだ、とも。
絵には絶対的な自信のあった父でもそんなことがあったのか。
いつも原作者を驚かせるようなものにしてやろうと思うほど絵には自信があった人だ。
しかし、いかにも上村一夫の劇画になりそうな「鬼恋童」は上村一夫にとっては描くことのできない、描いてはいけない世界だったという。意外だった。
でもその短い解説文は私の心をじゅうぶんに満たした。
上村一夫が父であったことを思い出させてくれるものだった。
冒頭に触れた『BSフジサンデースペシャル 人間発掘スペシャル 阿久悠 その創作の原点 〜ある劇画家との運命の物語』は、今月7日にBSフジで放送された番組で、タイトルの通り、阿久悠さんの創作の原点を探求するというドキュメンタリー番組だった。番組としては、とても濃い内容であったし、阿久悠さんの輝かしい歴史の中に、運命の出会いを果たした人物として上村一夫を登場させていただいたことは、制作陣にも深田家にも感謝の気持ちしかない。
しかし、観た後に鬱々とした感情が生じた。
それは自分一人が証言者ではなく、傍観者だと感じたからだった。
一人娘とはいっても生前の父のことも、ましてや阿久悠さんのこともほとんど知らない。よって聞かれたことはほとんど放送されることはなかった。
個人的な小さな悲しみが心に残った。
その感情を消化しきれずにいたところ、「鬼恋童」に救われた。
生きている時に交流できなかった親子でも、時を経て共感できることもあり、そこにはなんとも言えぬ楽しさと発見があるということを思い出させてくれた。
多作だった父のことだから、今後もそんな出会いがあるのかもしれない。
楽しみにしていよう。
ちなみに「鬼恋童」の中でも私が劇画化して欲しいと思ったのは「寝室のアダム」。上村一夫作品がお好きな方には是非お読みいただきたい小説です。
梅雨の最中、近所のコインランドリーで読んだ『鬼恋童』