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深田太郎×上村汀トークイベント

阿久悠と上村一夫は生前、不思議な縁で結ばれていました。人生の節目節目で影響を与え合ったふたり。そんな昭和を駆け抜けた父親たちのあの頃を、50歳になった子供たちが初めて語り合うことになりました。【2016年3月12日(土)「わが青春の『同棲時代』 上村一夫×美女解体新書展・弥生美術館2階展示室にて】
 

上村一夫と阿久悠の関係に「女 子ども は関係なかった」

上村: まずは、私と太郎くんとの出会いなんですが...。
深田: 2002年に僕の父親のスタッフの忘年会がありまして、そこで紹介してもらったのが汀ちゃんとの最初の出会いなんだけど、ちゃんと仲良くなったのは、うちの父親が死んだ年が2007年だから、それ以降かな。
上村: そう、親が亡くなってからちゃんと仲良くなったというか。
深田: 僕もその時ね、初めて汀ちゃんが自分と同い年って知って。
上村: 私も阿久さんの子どもがどんな人か知らなくて。お互い知らなかったですよね。
深田: 親同士仲良くて、さらに子どもの年齢が一緒だったら普通少しは子どもに話すようなものだと思うけどね。(笑) 僕ね、上村さんに子どもが居るっていうのだけは知ってたの。父から聞いててね。
上村: 本当ですか。私はそれすら知らなくて。
深田: 上村一夫と阿久悠の関係に「女 子ども」は関係なかったみたいね。
上村: 家族の話をしないのがスタイルというか。
深田: しない、しない。
上村: らしいな、とは思うんですけど。全然知らなくてお互い親が亡くなって、2008年に私が初めて自分の企画で神楽坂で父の原画展をやった時に太郎君が来てくれて、それで意気投合してね。ちょっと遠い親戚みたいな感じで今もお付き合いが続いているという感じなんですけど。
深田: 今回この話(トークイベント)を振られて、僕も汀ちゃんもお父さんの思い出の少ない子どもで。そこが共通しているからね。(笑) それで今日何を話そうかなと思ったけど、謎解きをやっているんですよね僕らはずっと。幼馴染でもなんでもないんだけども、何となく同じ謎を解こうとしている同志っていうか、共犯者っぽい。格好良く言うとね。僕はそういう風に思っている。
上村: 同じようなね、境遇の。
深田: 今日は阿久悠と上村一夫の真実とかではなく、ほんの一面だけ、パズルのピースみたいな感じで二人で喋って、皆で謎解きを楽しんでくれれば。
上村: お呼びするまで私全然気がつかなかったんですけど、そういえば太郎君にお父さんのことあまり聞いたことなかったなって。
深田: あんまり喋んないもんね。
上村: そうなんです。今日は質問をいっぱい太郎君に投げかけようと思ってちゃんと書いてきたんですが、最後に質問コーナーも設けておりますので、もし私が聞き足りないところがありましたら是非質問などいただければと思います。
 

「太郎と汀」

上村: 最初に名前のことをちょっと伺ってみようかと思うんですけれど。
深田: はい。
上村: 私の「汀」っていうの名前も変わっているんですが、「太郎」っていう名前もかなり斬新で。ご両親はどういう思いで付けられたのですか?
深田: あのね、父に聞いたことがあるんだけど、「太郎と花子しか考えていなかった」って言われて。僕らの時って「太郎」って結構いなかったんですよ。
上村: いなかったね。今はいるんですか!?
深田: 今もいないかな。(笑)
上村: 今もいないよね。(笑)
深田: でも「花子」じゃなくて良かったな。(笑) ちょっとね僕、今思い出したんだけど、「太郎」ってこれ以上ないくらい日本的な名前なのに、外国人みたいに呼び捨てしやすいように「太郎」って付けたって言うのね、父が。不思議でしょ。外国人って名前呼ぶとき敬称付けないじゃない。
上村: そうなんだ!
深田: 外国人の奥さん貰ったらいいんじゃない、って言われたのも今思い出した。(笑)
上村: かっ飛んでますね、発想が。
深田: 阿久は日本を愛した人ではあったんだけど、アメリカ文化の愛憎みたいなものも持っていて。同じ世代共通だと思うんだけど。アンチ巨人みたいな感じ?好きだか嫌いだか分からない。「太郎」って付けているんだけど、外国人と結婚しろとか。汀ちゃんも「パパ」って呼んでたんじゃない?
上村: 呼んでました。
深田: 僕も「パパ」なんですよ。たしか赤塚不二夫さんの娘さんも「パパ」でしょ。ニューファミリーっていうのかな。分かる世代の人は分かるかな。そういう複雑な愛憎があったんじゃないかな。
上村: そういう「太郎」。
深田: そういう「太郎」でした。(笑)
上村: 私の「汀」は、父のお母さんが五反田でバーをやっていて、そこに易者さんのお客様がいて、女の子で幸せになる名前を付けて欲しいって言ったら「汀」が出てきて、「汀」になったそうです。太郎君が生まれた頃、1965年って、お父さんすごく忙しかった頃ですよね。
深田: 65年はね、スパイダースの「フリフリ」のB面で、作詞家デビューしているの。そこが一応本当のデビューというか。「モンキーダンス」っていう。
上村: 時代ですねぇ。
深田: 構成作家やっていたから、番組の企画とかやっていて、エレキの番組。「世界に飛び出せ!エレキサウンド」っていう。それのレギュラーがデビュー当時のスパイダースで、毎週毎週オリジナルを作ってくれって言われて。全然作詞家じゃない頃。その頃かな。
上村: 宣弘社にも席を置いていたんですね。
深田: そうそう。隠れて「阿久悠」っていう名前使って。会社にバレるとまずいから。
上村: 「阿久悠」っていう名前はその頃付けたのかな?
深田: そうそう。二足のわらじ。
 

「パパ今度いつ帰ってくるの?」

上村: 太郎君が生まれて、お父さん忙しくて、その頃は横浜に住んでいたんですよね?
深田: 1975年の10歳まで、横浜の戸塚っていうところに住んでいたんですけど、完全に母子家庭でね、当時父が忙しすぎて。
上村: そりゃそうですよね。
深田: 3〜4ヶ月にいっぺんくらいしか帰ってこれなかったんで、僕が父親を見る機会って日曜日の「スター誕生」で審査員やってる、ものすごく怒っているお父さんしか見たことがない。
上村: 阿久さん厳しかったですよね。(笑)
深田: そうそう。
上村: 3〜4ヶ月に一回って、ひどくないですか?
深田: ひどいひどい。(笑)
上村: 横浜のお家と東京のお家があったと...。
深田: そう、当時赤坂に父のマネージメントオフィスがあって、たぶんその近くにマンションを借りてて、そこでずっと缶詰になっているみたいな。そこにいるか打合わせしてるかスタジオ入っているかという生活。
上村: 作詞のお仕事というよりテレビのお仕事で忙しくて?
深田: もうその時は両方。
上村: 想像を絶する忙しさだったのかな。
深田: そうそう。
上村: 幼少期のお写真を太郎君が持ってきてくださったのですが、すごくいい写真なんですよ。
深田: 笑っちゃう。たぶん6歳とか7歳くらいの時で、江ノ島かな。嬉しそうな顔してるでしょ?
上村: すごく。阿久さんいい顔していらっしゃる。
深田: でね、もう父と会うこと自体がスペシャルだったから、楽しいんですよ。
上村: 太郎君もすごく嬉しそうだもんね。
深田: それで二日くらい泊まって、帰るわけ、東京に。「次いつ帰ってくるんですか?」って僕が言って。母が蔭で泣いていたっていう。(笑)父が死んだ後ぼやいていましたね。私泣いたわよって。
上村: それ漫画家の子どもにもあるあるで、私も日曜日たまに父を見かけたりすると、出掛けに「パパ今度いつ帰ってくるの?」って言ってました。
深田: 上村さんは毎日一応帰ってきたんだっけ?
上村: 一応明け方に帰ってくる。仕事は事務所に行くんだけど、私が学校に行っている間に事務所行っちゃうんで、ほとんど会ってなくて、たまに会うと言っちゃうんですよね、「今度いつ帰ってくるの?」って。今考えると切ないですよね。
 

「もみあげ」

深田: この前話しててさ、お父さんと外食の機会があんまりないって言ってたじゃない?僕ね、この頃のいい思い出って全部外食なんだけど、要するに帰ってくるとサービスしなくちゃいけないから、父が。じゃあもうご飯食べに行こうみたいな感じだったんだと思う。そういう意味じゃお父さんが帰ってくるの楽しみにしているわけよ。
上村: 何を食べに行ったの?
深田: これも今突然思い出したんだけど、大船が近かったんですよ。大船にね「水の江」っていうレストランがあってよく行ってたね。それだけしか覚えてないけど。
上村: それはいい思い出ですね。写真をみると、阿久さん忙しかったけど、子煩悩でいいお父さんだったのかなっていう表情していますよね。
深田: 何しろ4ヶ月にいっぺんだったからね。(笑) そういえば父は絵が上手かったのね。宣弘社時代に上村さんと会って絵の道は諦めたって言ってたけど、やっぱり上手くて。使い捨ての水性のサインペンが一番軽くて、それを使って仮面ライダーとかウルトラマンとか描くんだけど、めちゃくちゃ真剣なんだよね。(笑) 今でも覚えているのが描いた後に水をつけて線をぼかしたりとか。
上村: 絵が上手い血筋なのかな。ということで、今日はスペシャルな、太郎君が子どもの頃に描いた絵を持ってきてくださいました。原画です。ものすごくインパクトあるので、皆さん夢に出ちゃうかもしれないですけど。
絵を披露すると会場からどよめき。
深田: 上村一夫さんの原画展でこれ持ってくるって自分もどういう神経かなという。(笑)
上村: 飾りたいくらいですよ! これ衝撃だよね。(笑)
深田: これね、小学1〜2年で、図画の時間に描かされたんだけど、僕はお父さんって言われると「スター誕生」に出ているギンギンの格好、皆あの頃グラムロッカーみたいなド派手な格好していて、そういうのを思い浮かべて描いたわけ。小中、普通の公立の学校行ってたから、先生がちょっと融通利かなくて、「お父さんこんなじゃないわよね」って言われて、描き直しとか言われてたの。(笑) その頃、お母さんも本の虫で、お母さん描けっていう時もね、本読んでるところ描いたら、エプロンつけて掃除しているとか料理しているとかっていうのを描いて欲しいみたいで、学校はね。「違う」って言われるのね。すごい怒ってたよね、お母さん。
上村: まあ、しょうがないですよね。普通じゃないから。
深田: 最初から間違った教育だったっていうね。(笑) 僕らはね。
上村: それにしても、この絵はすごいよね。これもみあげですよね。
深田: もみあげ。尾崎紀世彦さんみたい。区別つかない。あと寺内貫太郎一家やる前の小林亜星さんも同じようだったのね。
上村: 「スター誕生」の審査員の方々はあんな感じだったよね。
深田: サイケな柄のシャツとか。
上村: ホントに夢に出そう。でも上手。
深田: これは父が死んだ後に、書斎の押入れとか整理していたら出てきて。僕はてっきり描き直したと思ってたから絵が残ってたなんて全然知らなかった。父は気に入ってたのかな...いや、気に入ってないよな。(笑) たぶんずっと捨てられなかったんじゃないかな。
上村: きっと気に入ってましたよ。僭越ながら私もですね、うちはどうだったのかっていうので、写真を持ってきたんですけど...。太郎君家と全然違って。うちの父はこんな人さらいみないな...。
 
深田: これどこ?
上村: これ家の、下北沢の家の前で。
深田: ボーイッシュだよね。
上村: 男の子みたいでした。私、別に父と写っているから嬉しそうなんじゃなくて、プールに行けるから嬉しそうなんであって、たまたま父が二日酔いで起きて事務所に行く前に、たまたま会ったから、たまたま母が写真を撮っただけで。なんかほんと、指名手配犯みたいで。全然微笑ましくないんですけど...。
深田: でもカラーなんだね、これね。
上村: カラーでしたね。こういう感じで全然可愛がってる感じがないから、あの写真いいなあ。
深田: そうかなあ。この写真いいよ、銭湯行くような感じで。
上村: あと、私が父を描いた絵っていうのもあって、太郎君の足元にも及ばないんですけど、3つの時に描いた父の絵が出てきたので、それもちょっと、こんな...。
 
深田: 髭が可愛いよね。
上村: 阿久さんがね、父のエピソードとして、上村一夫はいっつもこの辺の髭を剃り残して、ちょっと生えてるっていうのを書いてたんだけど、私もそれ、絵に描いてて。
深田: じゃあ一番気になる記号だったんだよね。
上村: はい、そういうひとだったんですよ。
深田: チクチクされて痛いみたいなのはあったの?
上村: そんな風に可愛がられたことはないんですけど、なんかここ、生えてたなって。
深田: そうだよね。そういう風に見えなかったよね。
上村: 太郎君の絵にはもう、足下にも及ばないんですけど。
深田: 何言ってんの。すみません、こんなの持ってきちゃって。(笑)
上村: このまま飾りたいくらいだよ。あと、うちの父がですね、私がチビの時に描いてくれた絵があって、原画を持ってきたのでちょっと...。やっぱり上手なので持ってきました。
 
深田: すごいね。やっぱりね。
上村: まあこんな、親子らしいことも一応。
深田: ね、まあ、あるよね。この絵どっから出てきたの?
上村: これずっとうちにあって。
深田: かわいい。
上村: たまに似顔絵は描いてくれました。
深田: そうなんだ。
上村: そうなの。絵を描くのは好きだから。モチーフとして、子どもっていうので描いてたんだと思う。
深田: じゃあ「関東平野」の銀子とかもあなたかもしれない。
上村: いや、それは違うと思う。でも子どもが他にいなかったから、当時出てきた子どもの漫画の絵は私だなあって。

「減点パパ」

上村: ところで、太郎君、「減点パパ」にも出たって。「減点パパ」って皆さんご存知ですか?三波伸介さんが司会で、NHKの。
深田: 「お笑いオンステージ」っていう番組の目玉コーナーだったんですよ。
上村: 子どもがまず出てきて、三波伸介さんにお父さんってどんな顔?って言って、三波伸介さんがその場で似顔絵描いて、それでお父さん誰でしょうって当てる。
深田: それを会場のお客さんに当てさせるっていうか。
上村: 出たんだよね。それが9歳の時だっけ、7歳?
深田: 9歳かな?
上村: 写真の頃ですかね。
深田: そうだよね。で、何で出たかっていうと、先ほど話したんですけど父が宣弘社時代に、ラジオの放送作家をやっていた時に、三波伸介さんと伊東四朗さんがてんぷくトリオっていうグループを組んでて、お笑いの。それのコントを書いていたんです。で、その縁で。この頃は、家族対抗なんとかとかタレントさんが家族連れで出る番組が結構あったよね。
上村: 多かったよね。歌合戦とか。
深田: 出た?
上村: 私は一切出なくて、それはいいんだけど、「減点パパ」はね、ちょっと出ておきたかった、羨ましいです。
深田: これはそういう縁で、断れなかったの。うちも出なかったから。
上村: それ、映像残ってるんですか?
深田: 残ってる...あるよ、見ていないけど。(笑)
上村: 阿久さんは普通だった?
深田: 長髪で、やっぱり三波伸介さんの絵もさ、さっき言ったみたいな長髪で、ギンギンにとがってる。
上村: 「減点パパ」羨ましい〜。
深田: でね、「減点パパ」、実は本番の前に、1度似顔絵の練習するんですよ。三波さん、子どもへの聞き方とか本番と一緒で、似顔絵もやっぱり一発で同じものを描くの。ものすごい上手だった。
上村: 描きやすかったっていうことですか。
深田: いや、どの人でもそうなんじゃないかな。とにかく上手いのよ。本番は全然覚えてないんだけど、その事はいまだに覚えてる。あと、父と三波さんがパッと会って、楽屋で。「久しぶり!」って2人で握手してたのは覚えてる。
上村: そういうのはやっぱり、太郎君としては嬉しかったの?お父さんと一緒に出たりとか。
深田: いや、恥ずかしいよねえ。なるべくその、学校で目立たなくしてたいと思ってたから。話題にならないように。(笑)
 

「ウルトラマンタロウ」

上村: 太郎君って、意外にも私立には行かなかったんですよね。中学まで公立でしょ。「白い蝶のサンバ」が1970年で、その後もう怒濤の忙しさじゃないですか。71年に「ざんげの値打ちもない」「また逢う日まで」。もう書ききれないくらい。で、「スター誕生」が72年とか。もうわーって。この頃は小学生でしょ?
深田: うん、だからその時は全然会ってないってこと。
上村: その頃、お父さんのことどう思ってたんですか?
深田: さっきも言ったけど、会うと優しかったからね。早く帰ってこないかな、って。
上村: そうなんですか、泣けてくるわ...。結構お父さんの仕事のことは把握してたんだ。これはお父さんが作って、とか。
深田: うーん、まあ、半々かな。まだ10歳くらいだと、さ。フィンガー5はわかったよ。リンダさんとか。
上村: ピンクレディーとか。
深田: ピンクレディーはまだかなあ。
上村: そうなんだ。
深田: それよりまあ、デビルマンの詞書いてくれて嬉しかったかなみたいな。
上村: デビルマンそうなの?
深田: そうです、そうです。
上村: ウルトラマンとか。
深田: タロウね。あれは困ったけどね。(笑) どんだけからかわれたかっていう。ウルトラマンタロウでね。
上村: 同級生に?
深田: 同級生っていうか、あらゆる人にね。
上村: あ、そうなんだ〜。
深田: でもあれ不思議なのは、ウルトラマンタロウはね、作詞が阿久悠で、作曲が川口真先生なんだけど、真さんの息子さんもたしか名前に太郎が付いてるのね。だから大喜びで自慢できるって2人で作ったっていうね。嬉しかったけどね、それは。ウルトラマン大好きだったから。
上村: 私なんか、父の仕事が一番忙しくなった時って小学生だったんだけど、読んでもわかんないし、読めないし、把握しようがなかった。それに比べたら全然いいですね。
深田: でも綺麗な絵描いてるなぁとか。そういうのはわかるわけ?
上村: 子どもだとわかんないし、私もずっと公立だったんですけど、学校に行くと「上村の父ちゃんやらしい漫画描いてる」とかいじめられて。
深田: それ、でも中学の時くらい?
上村: いや、小学校の時。みんな親から聞くのね。なんかいやだったんですけどね。(笑)
深田: かわいそうな子だったよね僕ら。(笑)

「1曲2時間」

上村: そんなこともあった幼少期を経て、そのあと静岡に引っ越されるんですよね。
深田: はい、1976年かな。11歳なんですけど、引っ越すんですよ。伊東駅のいっこ手前に宇佐美というところがね、暖かいところがあって。この時から、父の生活パターンが変わったのね。それで、月の半分自宅で原稿書くようになって。要するにそれまで横浜の家っていうのは、仕事部屋がなかったんですよね。家、ちっちゃくて。今度は大きな家建てたから。こんなこと言うの自慢話みたいで何だけど。
上村: 仕事場と、プライベート空間と。
深田: で、月の半分は自宅で執筆して、月の半分は上京して打ち合わせとかTV出演とかまとめてさ。
上村: 忙しかったけど、メリハリがある。
深田: そうそう。ちょっとだけ家族の生活ができた。
上村: それは、家族との時間を作るために、っていうわけではなく?
深田: なんかいろんなタイミングだったと思うんだけど。僕がちょっとね、小児喘息が酷かったっていうのもあって、漠然と空気の良い土地に行きたいってのと、さっきのなんで公立の学校に入れたかっていうと、父が元々子どもを田舎で育てたいっていう気持ちがどっかにあったっていうのと、これは人に聞いた話なんだけど、横浜の家にたまに打ち合わせに来るんですよ、ディレクターさんとか。で、うちが家ちっちゃくて、「先生、こういうちっちゃい家住んでると歌手に示しがつかない、夢を見させなきゃ、もっとデカイ家住んでくださいよ!」って。(笑) 不思議な話だよね、人が言うっていうね。(笑) そういうのがまぜこぜになって。
上村: でも、良かったですね。
深田: そうですね。
上村: 仕事とプライベートとメリハリつけてくれたんでしょう。交流の時間も増えたのね。
深田: そうそう。でね、午後に家に帰ってくると、大抵仕事終わってて。阿久は作詞1曲2時間って決めているんですよ。
上村: 1曲2時間!?
深田: 2時間で上がんなかったら捨てるんだって、一回。また寝かせて。一度まとまんなかったら捨てちゃう。だから4時くらいになったら終わってるわけ。相撲観てるか、相撲やってないときはキャッチボールやったりとかしてさ。一緒に風呂入って、その後夕食っていうのが深田家の生活習慣だった。
上村: 規則正しい!
深田: その後もしかして仕事してるのかもしれないけど、自分の目には、仕事でカリカリしてる感じはなかったかな。
上村: いいお父さんですね。

「自分がされて嫌なことはするな」

深田: ところでお父さんにさ、子どもの頃から言われてた言葉とかある? 嘘つくなとか。
上村: ないかな。
深田: 全然?
上村: あんまり。本当に会ってないから。(笑)
深田: 会ってたでしょ?(笑)
上村: 会ってたんだけど、そんな会話したかなあ。覚えてないですね。ありますか?
深田: 悪口言うなって。自分がされて嫌なことはするな、しか言われなかった。それだけだった。
上村: それは太郎君が悪口ばっか言ってたからとかじゃなく?
深田: 自分は審査員でね、あんなキツイこと言っといてよく言うよって感じだけどね。(笑)
上村: あれは悪口じゃなくて審査ですよ。(笑)
深田: (笑)。
上村: 悪口言うなってね。格好いいですねえ。そういえば、伊東に越す頃かな、阿久さんのお父さん亡くなった?
深田: あれはね、引っ越す前かな。75年ね。
上村: 75年、そうそう、「悪魔のようなあいつ」書いていた頃だよね。その時に、うちの父が阿久さんのお父さんの葬儀の帰りにソープランドに行ったって。(笑)
深田: そうそう(笑)、どういうことなんだろ。
上村: 不謹慎...。
深田: しかもそれ初めて行ったんでしょ?
上村: そうなの?父が友達のお葬式の後にやりきれなくてソープランド、昔はトルコ?に行ったって話は聞いて、えーとんでもないって思ったんだけど、阿久さんのお父さんだと思う。
深田: やっぱり普通じゃなかったんだろうね、葬儀の高揚で。それを父に面白おかしく話してくれたみたい。
上村: そうなんだ。最低なんだか優しいんだか。(笑)
深田: 女の人がマット持って登場するんですよ、とか本に書いてあった。阿久はその話を楽しそうに聞いてたんだと思うよ。

「サザンは隠れて聴いていた」

上村: 伊東の頃ってお仕事部屋があったっていうことは、そこは太郎君も出入り禁止だったんですか?阿久さんしか入れない部屋みたいな。
深田: やっぱり入んないよね。
上村: 完全に篭って一人で作業する?
深田: 言われないけど、入れないんだよね。
上村: 作家の先生に近いのかな。物書きの先生っていうか。
深田: 年がら年中アイディア沸かなくてイライラしてるみたいなのは全然見えなかった。
上村: そうなんだ。
深田: 自分が入ってないときは、書斎に入ってもいいよって。
上村: おおらかな方だったんですね。
深田: ある意味おおらかだった。
上村: カリカリして原稿とかペンとか投げたりとかはない?
深田: 僕は見た事なかった。あと僕ね、高校のときに男子校の男子寮に入っちゃったからね、実質5年しか暮らしてなかったの。
上村: そうなんだ。いい時間でしたね。
深田: そうそう、だからその後はね、思春期とかも含めてなんだけど、ずっと付き合い一緒だったっていうかさ。
上村: そこでちょっと距離が生まれたからかえって良かった?
深田: 良かったと思うんだけどね。お母さんとも仲悪かったんだけど、それで仲良くなれるようになったっていうか。仲良かったよね。映画の話ばっかりしてたね。
上村: それは学生の頃?
深田: いや、小学校のある時期から映画観させられてたから。
上村: え、阿久さんに?
深田: そうそう、吹き替えになっているのも含めて、「イージーライダー」とかさ「俺たちに明日はない」とかさ、酷いでしょ?(笑)
上村: いや、格好いいけど。ずっと?
深田: ずーっと。父とたまに電話とかするじゃない。会話の枕になるのがいつも往年の映画スターが死んだりすると、すぐかけるのね。電話しなきゃって。ネットとかない時代ね、まだ。
上村: 死んだね、って?
深田: それがね、割とずーっとイメージに残ってて。去年原節子さんが亡くなった時にね、朝ニュースを聞いてすかさず「あ、親父に電話しなきゃ」って久しぶりに思ったんですよ。(笑) 訃報がキーワードなんだよね。そっから始まっていくっていうかね。それだけじゃないんだけど。
上村: 音楽なんかも聞かせっこしたり?
深田: 音楽の方がやっぱりね。話しづらかったよね。
上村: あ、そっか。ちょっと立ち入っちゃいけないみたいな。
深田: なんかわかんないけど、新しい人が出てきたりするときにこう、なんかね。サザンオールスターズは隠れて聴いていたよな。
上村: そうなんだ!
深田: 自分の中でやっぱりね、小学校六年とか中一だよね「勝手にシンドバッド」って。たぶんね。違うもんだったと思ったんだろうね。
上村: わかっちゃうの?
深田: 僕がわかったんだろうね。これはやきもち焼くじゃないけど、(父が)面白くないんじゃないかな、みたいな。なんか肌でわかったんですよ。
上村: 気は遣うよね。
深田: 逆にロックならいいのよ。RCサクセションとか聴いてることとかは言うんだけど、なんか父の存在を脅かすような人が出てくるときにやっぱりそれは言わなかったんだ。
上村: あぁなるほど。
深田: でも、それもさ、時代が何周もしてなんか明らかに父をリスペクトしてるような世代が出てくると、もう晩年の話だけど、そういうもう素直に「阿久さんが好き」なんて書いてあると記事を見せたりしてたけど。やっぱ当時77、8年とかの頃だとね、いや怒られはしないんだけど、たぶん黙ってたと思うよね。なんかわかるの。サザンはね。そう僕の中では。
上村: そうなんだ。
深田: 変でしょ。

「興奮しているうちに、冷めないうちに、やんなきゃだめなんだ」

上村: 阿久さんって高校野球も好きだったでしょ?
深田: 高校野球大好き。
上村: お前野球やれとかはあまり言われなかったんですか?
深田: 全然。僕の親不孝のいくつかのひとつがね。スポーツがあんまり好きじゃないというか、興味なくて。
上村: ほんとはやって欲しかったのかな?
深田: だめだってわかった瞬間うちの父親って一切話ししなくなるから。だからそういう話は全然僕もしなかった。
上村: そうなんだ。
深田: そうするとね、もう、映画の話しかなくなってくるんだよね。(笑)
上村: なるほどー。
深田: でもね、やっぱり20代の中盤ぐらいで僕もちょっと音楽の仕事、曲書いたりとか、バンドとかやってた時代があって、その頃はね、仕事は自分が興奮しているうちに、冷めないうちに、やんなきゃだめなんだっていうのは言ってくれた。で、自分だったら、ほんと身近な人、それたぶんスタッフなのかマネージャーとかバンドマンとかわかんないけど。そいつらをまず伝染させる、その興奮を伝えるんだって。それは今でも覚えてるな。
上村: 冷めないうちに。
深田: 冷めないうちにって。
上村: 阿久さんもそうやってきたんですね。
深田: たぶんね。70年代ってそういう時代だったんじゃないかな。寝るのも惜しいっていう。20年ぐらいもう3時間睡眠だったみたいですよね。
上村: ほんと!?
深田: そうそう。それ死ぬよな、って。
上村: さすがですね。阿久さんってちなみに趣味とかあったんですか?映画とかやっぱり仕事に関わること?
深田: 趣味はね、コレクションとかしない人だったから。なんだろう。スポーツ中継は好きでね。あの頃ね、9時半で終わってたんだよ、野球中継が。巨人戦だとか。そうしたらそのあと聴いてるんだよ、ラジオで。大好きだったよ。相撲とか野球かな、やっぱ。ボクシングも好きだったね。

「劇画の出会いは『関東平野』」

上村: それで、太郎君はちょっと大人になって初めて上村漫画に出会うんだよね。
深田: そうそう。まだ大人じゃない頃ね。
上村: 「関東平野」の頃だっけ。
深田: さっき言ったんですけど1976年にその静岡の宇佐美ってところに引っ越して、その年の10月に「関東平野」が始まるんですよ。あの雑誌にね、「ヤングコミック」。それで父がね「白い光の夏祭り」っていう詞を「関東平野」用に書き下ろしたんだよね。
上村: そうです、そうです。歌にはならなかったんだけど、歌を「関東平野」の中で書いてくれたんだよね。
深田: 僕あれね、1話目だと思ってたんだけど、1話目はB29の攻撃のシーンで、7話目ぐらいだったかな。
上村: そうね、途中で出てくるよね。
深田: そう、そのご縁で出版社からね「ヤングコミック」が自宅に送られて来てたの。それを僕は盗み見てて。「ヤングコミック」って11歳の子が見るには強烈な雑誌なんですよ。まあ半分エロ漫画だよね。(笑)
上村: 基本はね。
深田: 石井隆さんの「天使のはらわたシリーズ」とか載ってた。強烈なんだよね。
上村: ガツンときちゃった?
深田: そうそうそう。それはもうだから性の門が開いたみたいな。(笑)
上村: 「関東平野」をきっかけに。
深田: そうそう。でね、自宅の新聞紙とか積み重なってる場所に結構無造作にポンッて感じで置いてあるわけ。別に読むなとも言われないの。それで親が居ないときにはコッソリ見てね。
上村: やっぱり見たくなっちゃうよね。
深田: そう。やっぱね、漫画大好きだったんだよね。絵が元々好きだったり、漫画大好きで。でも子どもの見る漫画って「少年ジャンプ」とかだから。スピーディーなね。すぐ笑えるような。それと比べるともう上村さんの絵とかさ、漫画じゃないんだよね。子どもから見るとね。なんだかわからないわけ。色っぽいという言葉も知らないうちに、まぐ合ってるシーン見ちゃったわけだからさ。苦しんでるようにしか思えないような顔して、白目剥いて悶えてるわけじゃない。(笑) 上村さんの濡れ場って。
上村: 白目剥いてたね。
深田: ね、白目剥いてるでしょ。もう夢にも出てきてうなされているわけ、こっちは。
上村: なんだこれはっていう衝撃ですか?
深田: だから恐怖漫画じゃない怖い漫画ね。だけど、恐怖漫画じゃないっていうのはわかるの。でも怖いわけ。そういえば、上村さんの漫画は「ヤングコミック」の中でも浮いてるというか、全然違うよね。
上村: かなぁ?
深田: でね。さっきも言ったんだけど、月半分は東京に行ってるから、夜書斎とか忍び込んでさ、そうすると初期の頃の1968年〜1970年、阿久悠と上村一夫が原作の本とか置いてあるわけ。「花心中」とか「男と女の部屋」とか。また暗いのばっかり置いてあってさ。嫌だなーって思いながら見てるようなね、11歳。ひどいよね。
上村: 見ちゃったってね。そうなんだ。じゃあ、漫画の出会いは「関東平野」というか「ヤングコミック」だったんだね。
深田: 劇画の出会いね。
上村: 劇画ね。
深田: エロ劇画のね。
上村: いろいろ見てたけど。
深田: 漫画の方はいろいろ見てたけど。
「関東平野」に登場する深井さんのモデルは阿久悠さん。

「でっかいオカマ」

上村: 上村一夫本人との出会いっていうのは?
深田: これはまたちょっと、はい。
上村: 私、実は先に聞いちゃって驚いた話なんですけど。
 
深田: 強烈な話なんですけど。1978年というのは父の仕事のピークの中のピークの年で、ちょっとびっくりしちゃうんだけどね。レコード売上げ1173万枚突破っていうパーティーがあったんですよ。
上村: すごいね!
深田: 各レコード会社の担当者がね発起人で10人ぐらいさ、でっかい所でパーティーやって。どこでやったかは覚えてないんだけど。打ち上げがたぶんホテルのスイートかどっかで身内ばっかり集まった時にね、僕上村さんにお会いしたの最初で最後なんだけど。
上村: 太郎君はまだ子ども?
深田: 中学に上がる前の12歳の最後。そのパーティーやったのが2月7日で、ちょうど父の誕生日だったの。だからまだ中学に上がる前だったんだけど。上村さんがね、でっかいオカマ二人連れてニコニコしながら座ってんの。お酒飲みながら。
上村: でっかいオカマ。(笑)
深田: 二人連れて。(笑) それがね、座ってるのにでっかいんだよ。顔はすっごい綺麗なんだけど、今でいうドラッグクイーンみたいな。
上村: 両脇に?
深田: 両脇に。全然ね行儀悪くなく、ニコニコしながらお酒飲んでたの。たぶん思い込みかもしれないけど、和服だったような気がするんだよね。
上村: へ〜、和服でオカマ。
深田: 父のそばに座っていてね。やっぱり主賓だから。で、オカマも一緒に座っているという。
上村: すみません。(笑)
深田: で、僕とかさやっぱりね、他の人の印象とかもうどうでもよくなっちゃって。(笑) ずーっと見ちゃって、オカマの人たちを。あれ誰だろうって。たぶん「ママ!」とか言って母に聞いたか、(笑) 会社のアテンドしている若い社員とかから聞いたかわからないんだけど。で、結局紹介もされないわけよ、最後まで。(笑)
上村: 何考えてたんだろうね。
深田: 凄いよね。でも皆もう全然ありなわけ。上村さんがそういうことしてるの。
上村: まあまあ上村だからね、みたいな。
深田: でも凄いよね。未だに話するのね、僕なんか父の知り合いとかと。で、その話すると、やっぱり皆覚えてるよね、それを。凄いよ。
上村: どうなんでしょうね〜。
深田: で、あれが上村さんなんだって思ったわけ。「関東平野」の。漫画の出会いから2年経ってね、納得するみたいな。

「パラダ」

上村: その頃は、もう阿久さんも忙しくなって、うちの父もそんな感じでオカマを連れて忙しかったんですけど(笑)、二人の漫画作品をちょっと振り返ってみるとですね、さっき松本さんに宣弘社時代の話をしていただいた(注:2人のトーク前に上村・阿久の出会いの説明があった)んですが、その後の1968年に再会するのかな。阿久さんが「朝まで待てない」とか、モップスの...。
深田: そうそう、67年に。
上村: 「平凡パンチ」があって。
深田: 「朝まで待てない」もその年なんだけど。作詞業がまだ本格的じゃなくて、放送作家がメインなんだけど、作詞の仕事もだんだんと増えてきた頃に、新しい感性の作曲家を探そうということになって、その相手としてギターの上手かった上村さんを探したみたいなんですよ。「作曲家 上村一夫」っていうような気持ちで。
上村: それで探してもらって再会したんだけど...。
深田: そうそうそう、再会したらそんな話はどうでもよくなっちゃったらしくて。
上村: 二人で劇画を作るということになって。
深田: 不思議だよね。
上村: で、「パラダ」を書いた。
深田: 父が企画と構成全てやるから上村さんにお前絵描けって。上村さんが以前に「平凡パンチ」でカット描いてたんだよね。上村さんが編集部にその話を持っていったら、もういきなり半年連載やれって言われて、突然二人とも漫画も描いたことないのに慌てちゃって。上村さんが一番最初の頃、漫画の描き方を知らないから新聞紙大の原稿用紙に漫画描いたっていう。(笑)
上村: そうなんですよね。(笑)
深田: もう凄い時間がかかるんだって。だから一週間に5ページ描くのがやっとだったって。(笑)
上村: だから「パラダ」は短かったと。
深田: 凄いよね。
上村: うちの父がまだその頃に漫画家になろうと思っていなかったから、結局引っ越しの時に家の押入れに置いて来ちゃったっていう。だから原稿残ってないんですよね。
深田: だからあそこに展示されてるのはマガジンハウスの...。
上村: そうそう雑誌で。
深田: 取っといてもらったっていうか。
上村: この「パラダ」の1話は、阿久さんのホームページ「あんでぱんだん」で1話だけ読めるようになってるんですよね。
深田: 上村オフィスのご好意でアップさせて貰ってます。
上村: ちょっと変わった漫画ですけど。
深田: ホームページに「阿久悠と上村一夫」っていうコンテンツで載ってますので是非。
上村: あと、知ってます?代官山の蔦屋で「平凡パンチ」全部置いてあるから、そこでも読めるんです、実は。
深田: 載ってた?
上村: うん。カフェみたいなところで。
深田: 何かさ、不思議なんだけど、漫画ノベルって書いてあるんだよね。もしからしたら劇画っていう言葉をまだ使ってなかったのかもしれない。
上村: そうですね。
深田: で、ト書きが多いんですよ。なんていうんだろう。
上村: ナレーション的な。
深田: そうそうそう。絵物語みたいなね。
上村: 異業種の人たちが描いた漫画っていう感じですよね。
深田: そうだよね。
上村: その68年に「パラダ」を描いて、その後立て続けにああいうアメリカンコミック調の「スキャンドール」であるとか、「セクサス48」を描くんですよね。
深田: これ続けて描いてるの?
上村: 続けて。わりとその年に書いて、翌年もそれが続いて。「一匹女狼・グッバイマリア」とか「俺とお前の春歌考」とか描いて。
深田: 結構あるね。
上村: そう、結構あって。それが69年。その翌年の1970年は「白い蝶のサンバ」がヒットした年にね、「男と女の部屋」、あと「くりからもんもん」と二作描いています、はい。それからまた続いて71年に「人喰い」であるとか、「ざんげの値打ちもない」、「ジョンとヨーコ」を描いて。この辺は立て続けに描いてますね。
深田: わりとあれね、「ざんげの値打ちもない」みたいな、ちょっとやっぱり...。
上村: 歌謡曲っぽい感じの。
深田: ぽい感じのだったのかな。
上村: だんだん仕事がこう、ごちゃ混ぜになってきたというか、いい意味で。
深田: 僕ほら、上村さんの何回か前の神保町のクラインブルーの原画展に行った時に、たまたまさっき言ってた「ヤングコミック」の編集長やってた筧さんがいたんで、いろいろ話伺ったんですね。で、その時に、だんだん阿久と上村さんが有名になってきちゃって、ギャラが二倍になって、こりゃもうたまらんという話になって。で、上村さんにお前もう頑張って独り立ちしろって言って描かせて。頑張ってやって「同棲時代」でしょ。凄いよね。
上村: でもまぁ道筋をそうやって阿久さんが作って下さったということですよね。
深田: どうなのかね。
1968年、漫画アクションで連載された「SCAN.DOLL」の扉絵。
当時は原作ではなくSCENARIO、絵ではなくARTと表記している。

「ジャックと豆の木」

上村: で、その後もまだ実は原作を阿久さんが書いてくださって。一年空いて1973年に「花心中」を書いていて。
深田: これ映画化になってるんだよね。
上村: なってるんだよね。近藤正臣さんと、あと中野良子さんで。
深田: 福田陽一郎さんも脚本でっていう、ちょっとレアなんだけど。
上村: で、その翌年「ジャックと豆の木」。あとでご紹介しようと思うんですけど、あのアニメーション映画で、阿久さんが音楽担当されて、うちの父が犬の声を声優で担当してっていうのがあって。
深田: 不思議だよね。
上村: 皆さんたぶん「ジャックと豆の木」観たことないかな、ある方もいらっしゃると思うんですけど。
深田: これ、40年ぶりの初DVD化なんですよ。嬉しくてね。
上村: そう、去年初DVD化されて、改めて観たら凄い変わった面白い作品で、うちの父が犬のグロスビーっていう役をやっていて、思いっきりミュージカルものなんだけど、犬がいきなり演歌を歌い出すっていうのが面白くて。
深田: 犬だから台詞ないんだけど。(笑)
上村: 思いっきり歌っているので今日はちょっと皆さんにお聴かせしたいなと思って。どうでしょうか。
DVD鑑賞
上村: 「これが男の生きる道」っていう曲でね。
深田: これは井上忠夫さんが作曲で、編曲・都倉俊一さんっていうね。ものすごい豪華メンバー。それにしても上村さん歌うまいねぇ。だんだん犬が上村さんの顔に見えてくるね。
上村: まぁまぁ、こういうね。熱唱してますよ。なんでしょう、漫画家なのに。(笑)
深田: なんかね、本気で作ってるよね。本気で作らなかったらパロディじゃないんだってことなんだよね。うちの父とかの、こういう遊び。遊びじゃないんだけど。
上村: 熱いですよね。
深田: これ、音楽構成と全作詞阿久悠なんだけど、都倉俊一さんと井上忠夫さんと三木たかしさんで書いてて。この他もね、井上さんが歌ったり、市川正親さんがね主役で歌ったり。リンダさんも。
上村: 錚々たるね。山本リンダさんのお姫様の声、凄くいいですよね。
深田: 凄くいい。樹木希林さんも出てるんだよね。
上村: 樹木希林さん、凄いメンバー。
深田: 豪華なんだよね。
上村: いきなり左とん平さんが...。
深田: そうそう、オープニングで歌うんだよね。
上村: 面白いですよね。
深田: 父が企画構成をやった「うわさのチャンネル」とかと同じノリで作ったんじゃないかなとと思うんですよね。
上村: あぁ、なるほど。
深田: 阿久悠軍団を、そのまま持ってきたみたいな。パッケージで。
上村: でも本当に復刻されてよかったですね。
深田: あなたのブログに書いてあったんだけど、なんか70年代の芸能界の香りがする映画って言ってたけど。
上村: する、します。
深田: いやぁ、ほんとだねぇ。
上村: いや、ほんとに。絵柄はディズニーなのに。
深田: そうそうそう。(笑) こんな風に出来上がるとは思わなかったんだろうね。監督の杉井ギサブローさんとかね。
上村: ご紹介できてよかったです。
 

「お宝鑑定」

上村: だんだん時間もなくなってきましたが、今日は是非お見せしたいと太郎君が持って来てくださったものが。宣弘社時代に、阿久さんにうちの父がプレゼントした絵という。原画をね。
深田: そうなんですよ。これちょっとね、鑑定してもらおうと思って。(笑)
上村: これちょっと、レアなんじゃないかと思います。たぶん「スキャンドール」とか、初期の作品描いていた頃の絵柄なので、私も今日初めて見てびっくりしちゃったんですけど。
深田: これがね、宇佐美の家の、父の書斎の押入れあけるとバン!って置いてあって。上村さんに違いないんだけどちょっと絵柄が違うのと、右下の「K.KAZUO」っていうサインの頭が僕にはダブル(W)って見えたから、違うのかなぁ、と思ってて。これ不思議なんだけど、誰も父親にそのことを尋ねてないんだよね。母親も。で、父もそれを飾ってないんだけど、空けるとポンって置いてあって。不思議な。
上村: 今の絵と全然違う。今の絵っていうか、父の後半の絵と全然違うから。レアですよね。
深田: ほんとに悪いんだけど、このままの状態でずーっと置いてあったみたいで。
上村: ね。だから阿久さんにプレゼントした絵ってことですよね。
深田: 本物で良かった。
上村: 何年前?50年くらい前の絵ってこと?
深田: だってさ、上村さんの宣弘社時代って1年、半年ぐらいだからね。1961年ってその時21の筈だから。
上村: ねえ。だから今もあるってすごい。
深田: そうそう。今日は「これ違います」って言われたらどうしようかと思ってたから良かった。(笑)
上村: いや、でもほんとお見せできてよかったですね。
深田: で、うちの父の押入れっていうか、ひとつね、知り合いの作品ばっかり入ってるところがあって。「友達部屋」って僕は呼んでたんだけど(笑)、開けると、久世光彦さんからもらった本とか、三田完さんの本とか、これがドンって置いてあったりとか。
上村: 濃いですねぇ。
深田: そうそうそう。知り合いの本は分けて置いてた。
上村: 久世さんといえば、「寺内貫太郎一家・2」にうちの父が出てるときに、実は阿久さんにも声がかかったっていう話が。
深田: 父がスゴい照れ屋だったから、ことごとく誘いを断ってたみたい。
上村: 忙しかったから、普通断りますよね。
深田: 父以外の友達みんな出てたっていう、レギュラーだったとかいう話。
上村: でも阿久さんがそのドラマの撮影現場に行ったときに、上村一夫が久世さんにすごい怒られてて。演技のことで。漫画家なのに。(笑)
深田: 鬼だよね、久世さん。(笑)
上村: それを見て阿久さんが、「あーやらなくてよかった」って思ったっていう。
深田: そうそう。(笑) 本気で怒ってたって。
上村: まあそれもなんかね、らしいですね。

「時代おくれ」

上村: うちの父は45歳で亡くなってしまうんですけど、1986年に。阿久さんはその、上村一夫が亡くなった頃とか、どうでしたか?
深田: やっぱりねぇ、80年代に入ってだんだんね、時代の空気が70年代と違ってきてるってことを、まぁほんとに時代に敏感だった人だから、たぶんね、肌で感じてて。そしたら売れ行きがどうとかっていうよりも、なんか時代とちゃんとキャッチボール出来てんのかって。返ってきてこないっていうか、パシッて音がしないみたいな。本に書いてあったのは、フルスイングしてんだけどね、ビュンって音が聞こえてこないみたいな、ジレンマが父の中にずっとあって。まぁその頃に、79年くらいから「瀬戸内少年野球団」が、作品の方ね、直木賞候補になったり、だんだん歌から小説にシフトして来た頃に、86年1月上村さんが亡くなられて。やっぱり、自分の生き方が変わって、天下取ろうと思ってた気持ちがもうないんだと、虚しくなったと。で、それまで一足飛びに世の中をパーッて走ってた、実はスキップしてたところ、跨いでっちゃったところに日本人の心とか、優しさとかね、それもほんとは捨てちゃいけないものがあったんじゃないかって。で、それを探すようになって。それがほとんど晩年まで父のテーマだった。だから転機になったね、いろんな。86年にあれ書いてんですよ、「時代おくれ」。河島英五さん。
上村: あの「時代おくれ」聞くとやっぱり私は父のこと思い出しますね。
深田: あぁ、ほんとに。だから当時は阿久悠がなんでこんな辛気くさい歌書いてんのって。しかもバブルの景気の前夜だったから。全然売れてなかったらしいの、最初はね。だけどまぁ、それをカラオケだかなんだで歌ってくれる人がいて、随分後に91年とかに、バブルが崩壊した年かな?紅白で、河島さんがピアノで弾き語りで歌ってくれて。また火がついたっていうか。そういう作品ですよ。だからその年に、上村さんのことは、「ちょっとお先に」っていう作品と、「無名時代」って、それこそ宣弘社時代の奮闘記を書いた作品ふたつ遺してますね、父は。
上村: そうですか。阿久さんにとって上村一夫ってどんな感じだったんですかね。
深田: 僕はね、すごい考えたんだけど、敬愛、敬愛する仲? 敬い愛する。でね、敬意よりは親密で、純愛よりは照れくさくなく、みたいな。敬愛かな。それしかちょっと思いつかない、僕は。ふたりの関係っていうのはね。
上村: 純愛だとちょっと照れくさくて...。
深田: うん、だから、その距離感と、温度っていうの、距離感がイコール温度差じゃないというか、他の人にはわかんないじゃない。娘・息子にもわかんないよね。だから関係ないんだよね、僕らなんか。僕らはただの研究者で、こういうことなんだと思うんだよね。そういう仲だったんじゃないかなと思うね。

「誇り高き男」

上村: 太郎君にとって、お父さんの仕事で好きな仕事っていうのはありますか?
深田: 僕はね、歌ならやっぱcharが好きだね。charの「気絶するほど悩ましい」が好きで。
上村: カッコよかったね。私もcharと原田真二だったらchar派でした。
深田: だからあの頃だったでしょ? そうそう。(笑) 世良さんもいてね。なんか、ジュリーよりわりと好きで。もちろんジュリーも好きで。charと、井上忠夫さんね、さっき言った「水中花」かな。で、小説は、僕わりとね、短編が好きで。90年代に恋愛小説書いてるのね。女性用に。あんまり知られてないんだけど。「恋文」っていうのがありまして。それはすごくいい作品ですね。で、エッセイはね、「犬猫太平記」っていうね、昔家で犬と猫飼ってたの。でっかいセントバーナードとかペルシャ猫とか。犬猫愛にすごい人で。それを書いたエッセイがあって。あと、和田誠さんとの対談集「A面B面」っていうのがあって、これも最高で。まぁ和田誠さんってのは稀代の聞き上手で、阿久がほんと気持ち良さそうにね、歌謡曲論を一冊分語っています。で、僕は元気ないときはそれ読んでね。元気を、パワーをもらう。まぁ、今でもたぶんアマゾンとかで検索すればひっかかると思うから、もし興味があったら読んでみてください。汀ちゃんは阿久悠のなんか好きなのあります?
上村: 私はもうピンクレディー踊りまくってましたから。あの頃父はなんで言ってくれなかったんだろうって思って。
深田: 言ってたと思うよ?
上村: 俺の友達阿久悠だよって?
深田: 言ってなかった?
上村: 言ってないですよ。言ってよ、って。(笑) 私、阿久さんに初めて会ったのは、三田完さんの本の出版パーティーで、それで、阿久さん見るなり私のこと「なんか親父の絵の、漫画の世界たどってるな」みたいなことを、すごい鋭い眼光でおっしゃって。「いや、そんなことないです!」って思ったんだけど。なんか、怖いわ。(笑)
深田: その時は、なんかすごかったんじゃないの?
上村: まぁちょっときつい顔してたんで、見抜かれたのかな?って思うんだけど。なんか照れ屋なのに鋭いこと言うっていうね、感じの人でしたね。
深田: ちなみに僕はね、上村作品はね、「凍鶴」いいよねぇ。
上村: あ、「凍鶴」なんだ。へぇ。
深田: まぁ、それもほんと最近なんだけど、物語を作るのもこんなに上手な人なんだ、っていうかね。大好きだね。
上村: そうなんだ。
深田: 「関東平野」もね、もちろん一番印象に残ってるけど。
上村: 父は晩年、日本文学を原作にしたものを描きたかったみたいなんだけど、それは夢叶わずに終わってしまって。では、そろそろ時間もあれなんでね、最後に聞いてみたいのは、太郎君は、阿久さんの息子でよかったなぁって思うこととか、なんか面白かったなぁと思うことはありますか?
深田: 息子でよかったなぁ、っていうのはわかんないけど、やっぱり、すっごいたくさんの素晴らしいっていうか、すごい歌と言葉ね、世の中に遺してくれたっていうことは、命削って遺してくれたことはもう、やっぱりありがとうって言うしかない。あとね、誇りの高い、誇り高き男だったなっていうのが。やっぱりそれは息子としてはね。あとね、父親の友達に会って、まぁ上村さんもそうかもしれないけど悪口は聞いたことなかったよね。そうじゃなかったら皆さん今日このイベントに足を運んでくれてないと思うんですね。ほんとこういうご縁も全部父が、上村さんもそうですしね、紡いでいってくれてるなぁと思ってね。感謝しないといけないなっていう風にね、感じます。
上村: ダンディズムね。そうね。
深田: しんみりと。(笑)
上村: そうですね。ほんとに今日は貴重なお話をたくさん伺いました。
深田: 二人でしないからね、普段ね。
上村: しないから。ちょっと新鮮だったわ。

「質問コーナー」

上村: 今日は事前に質問をいくつかいただいているので、そちらをちょっとご紹介します。
質問: 男性、50代の方です。お母様はどのようなタイプですか?阿久氏、上村氏が選んだ女性はどのような人だったのか教えて下さい。
深田: あぁ、どう?
上村: うちはね、ほんと普通の現代的な、全然絵のイメージと違う人なんで。うちの母はほんとに普通の人です、はい。森山良子さんに似ている。(笑)
深田: あ、ほんと?森山良子さん?
上村: うちの父は目がちっちゃい人が好きだったの。絵はこんなの描いてますけど。どうですか?お母さん。
深田: 若い頃は文学好きで、見た目がゴダールの「勝手にしやがれ」に出てきた女の人とかさ。ベリーショートでさ、黒のタートルネックのシャツなんか着ててさ。なんかそういう、細くてね、オリーブみたいなさ。で、あのピチピチのパンツ穿いてるようなさ。
上村: あぁ、そうだったんだ!
深田: うちの父親、背が低かったから。おふくろの方が高いのね。俺も高い方なんだけど、母似っていうか。そういう女を追い求めて東京出てきたのかなぁっていう。
上村: へぇ〜。だそうです。
質問: ジュリーファンの40代女性の方。ジュリーは上村先生の作品のドラマ版に出演したり、歌を歌ったりしていますが、ジュリーの起用は上村先生の意見が強かったのでしょうか?阿久先生や久世光彦さんの意見が強かったのでしょうか?
深田: これは久世さんだと思います。うん。
上村: そうですね、きっと。
深田: あの「悪魔のようなあいつ」は、原作は阿久悠になってるけど、久世さんもだと思う。僕はね。
上村: 共作みたいな?
深田: 久世さんと次のドラマの企画考えようって、箱根の旅館に2人で入って、あーだこーだ言ってるなかで、三億円犯人のね、時効がその年だったんで、それにしようかって話になって。で、それやるんだったらジュリーがいいんじゃない、みたいな話になって。すごいの、同時進行で、ドラマも同時進行なんだけど、漫画もほぼ同時進行で。で、上村さんに描いてもらったっていう。
上村: 3人で作ったみたい。
深田: そう、そんなところなんじゃないかなぁ。で、中心は久世さんじゃないかなって思うんだけど。
上村: ジュリーといえばね、久世さんですよねぇ。
深田: やっぱあの頃一番、綺麗っていえばジュリーだよね。
上村: ジュリー会ったことあります?
深田: ない。あぁ、久世さんのお通夜のときにちょっとだけ。
上村: 私も。
深田: さっきの「ジャックと豆の木」もそうなんだけど、「悪魔のようなあいつ」もカルト作品で。ずーっとビデオにすらならなくて。何年か前なんだよね。DVD化になったの。でもずっと前からね、うちの父親、一話目がとにかく好きなんだって。「一話目だけどうしても見たいんだ」って言っててね。で、ようやくDVDボックスセットになって出たんですよ、何年か前に。で、見本が送られて来たんだよね。でもやっぱり一話目しか見ないんだよね。(笑)
上村: へぇ〜。(笑)
深田: 「全部見ないの?」って聞いたら、「いや、一話目が好きなんだよ」って。(笑) 全然わかんないんだけど、不思議でしょ?とにかく一話目ばっかり見てた。
上村: 今テレビでもね、たまに(OAしてますね)。
深田: だからのその一話目が完璧に自分の求めてた「悪魔のようなあいつ」の世界だったんじゃない?期待も含めてね、その後の。
上村: また「時の過ぎゆくままに」もドンとね。
深田: そう、だからレコードだけ売れたっていうね。
上村: レコードだけ...。
深田: だからドラマもこけ、ひどかったらしいですよ、数字。(笑) ジュリーでやったのにっていうことだと思うんだけど。
上村: まぁでもよかったよね。またDVDになって。
深田: 覚えててくれる人がいるよね。長谷川和彦さんでしょ?脚本書いてたの。伝説的な作品だよね。久世さんもそうだし、みんな異業種で楽しんで遊んでた。だってあれでしょ?久世さんなんか知らないけど上村さんの事務所に来て、用事もないのにピーナッツ食べてたんでしょ。(笑) なんだかわかんない。(笑) でも「螢子」とかちゃんと作品になってるし。
上村: 交流がね、面白い時代でしたよね。
深田: だからこうやって上村さんをよく知らない世代がこの展示会に来てもさ、よくよく見ると、岡崎英生さんや小池一夫さんもそうだし、ファミリーツリーというか、こっからなんかいろいろ辿って、阿久悠にも行ってみてほしいというか。僕らが親の研究をしていて「上村一夫〜阿久悠〜久世光彦」の関係を避けて通れないのと一緒でね。避けて通れないっていうのは、苦しいとか辛いだけじゃなくて、やっぱ面白いのよ。たまらなく面白い。
上村: そう、面白いですよね。
深田: で、これ見てほんとに若い人とか興味あったらどんどんね、広げていってほしいというか。
上村: そうですね。
深田: 面白い、見たことない世界だと思うんだよね。ほんとに不思議な光景が見れるから、見て欲しいね。DVDとかも。
上村: そう思います、はい。
深田: 供養したね。(笑)
上村: はい、供養しました。
深田: 気持ちが供養したね。(笑)
上村: 気持ちが供養しました。
〜FIN〜
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